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『きおく きろく いま』『いぬごやのぼうけん』公開記念・水本博之監督インタビュー
(全4回 / 聞き手・構成 若木康輔 / 2017年収録)

『きおく きろく いま』  ©Belumg Belumg Na Uai


第2回 『きおく きろく いま』


『きおく きろく いま』(15)は,『繩文号とパクール号の航海』の後に作られた、現時点での水本さんの最新作です。プロデューサーのクレジットに、『おでかけ日記』(87)などで知られる映画作家・小口詩子さんの名がありましたが、珍しくよそから来た話?



「詩子さんは、僕の出た大学(武蔵野美術大学)の教授なんです。僕はゼミ生ではなかったけれど、詩子さんはPFFの関係者でしたし、僕も何度か入選していたのでお世話になっていました。 長崎で短編映画を作るプロジェクトが立ち上がり、詩子さんがそこに教え子を送り込む話を進めていると知ったのは、途中からです。僕の友達のところにまずその話が来て、巡り巡って……ですね」

「僕はその頃はちょうど『繩文号とパクール号の航海』が完成したばかりで、メンタルも体力的にも、ほぼ瀕死の状態だったんです。よく生きてたな……と今になって思うぐらい。映画を作るために費やした長い時間で、自分の生活はズタボロになっていました。3年間かかりましたから。それが終わって、映画を作りたいとは一切思わない、考えたくもない状態でした。だから僕のところに話が来た時も、実はすぐに乗り気にはならなかった」

『縄文号とパクール号の航海』は撮影に4年、編集に3年かかっている


「とにかく一度現地を見て回ることになり、観光の仕事を長年していた方に色々と案内して頂いたんです。PR的なものを求められているムードは、当初はありました。でも、『それはお互いにとって悲劇にしかならないのでよしましょう』と」

「案内してもらっている時には、自分がやるならばこの土地固有の物語を掬い出したいという気持ちが生まれていたので、観光スポットよりもそういう場所に連れて行ってほしいし、昔のことを知っている人に会いたいとお願いしました。
それで紹介してもらったのが、映画に出てくるシスターです。95歳でもう教会の仕事は引退されていて。長崎の原爆投下を見た、あの話はその調査の段階で撮影したものです」

95歳の橋口ハセさん(右)  ©Belumg Belumg Na Uai
「そうして撮ったシスターの話をどう映画にしていくか、はしばらく考えました。自分にはドキュメンタリーとアニメーションの2つの持ち球があるんだから、普通のドキュメンタリーにする必要は無い、と思って」

「いったんはシスターの話をもとに、地元のみなさんに1体ずつ人形を作ってもらい、それを撮ろうかと考えたのですが、それよりはみんなでシスターを描くほうがいいなと。
かなり実験的というか、失敗する可能性は大いにありました。自分でも初めてだし、やったことがある人も余りいるとは思えない手法ですからね。ただ、以前から画面がガチャガチャするものを作ってきましたから、それでも作品は成立するし、させられるという根拠は自分の中にあったんです(笑)。結果的には、それなりに上手くいったと思っています」


確かに、トレースされたシスターに様々な人が1枚ずつ線を加え、色を塗っているので、めまぐるしく画面は変わる。あの街に住む人々の現在の生と、シスターの肉体が交差して、今まで見たことのない表現になっています。その分、シスターの話を画面が邪魔するところもあるのです。その衝突こそが意図だったのか。


「シスターが価値のある、いい話をしてくれるのを撮って、きれいに整理して見せること自体は簡単なんです。そういう映画や番組は幾らでもあるわけですから、任せておけばいい。僕が引き受けてやるからには、その一歩先にやるべき仕事があるだろうと。それが、インディペンデントで生きている人間としてのプライドなのかもしれません」


加工しない画面だと、シスターの話を神妙に聞いてそのまま消化されてしまうかもしれない。その、見ている人にすぐ呑み込ませたくない、引っ掻き傷を残したいラディカルさは、一周巡って初期作品に戻っているかもしれませんね。


「そう、その気持ちは常に同じです。『きおく きろく いま』が消化しにくいとしたら、それは色々なレイヤーが重なっているからだと思うんですけど。沢山の絵がシスターに重なっているなかには、子どもが好きに描いた、とても話とはそぐわないものが混ざったりしていますからね(笑)。しかし、それが『いま』なんだろうと」

制作風景  ©Belumg Belumg Na Uai
©Belumg Belumg Na Uai
©Belumg Belumg Na Uai
©Belumg Belumg Na Uai


シスターの頭に角が生えたり引っ込んだり、そばに『妖怪ウォッチ』のジバニャンがいたり。あの一瞬の乱暴さが、脳裏に焼き付けられてしまう。ベルクソンの哲学書に、「歴史は常に現在の最断面の更新である」という意味の言葉があったと記憶しています。まさにそのさまを、剛腕で絵にした実験ドキュメンタリーと言える。地元の人が喜んでくれたかどうかまでは分からないけど。



「喜んでくれるものを作ったつもりです(笑)。消化しやすい、安易な整理整頓は極力控えましたけど」


僕が感動したのは、あなたが「(原爆が落ちた時)おそろしかったですか?」と聞いた時、高齢で耳の遠いシスターがおそらく「音はしなかったですか?」と聞き違えて、別の話を始めるところです。行き違いが予想外の答えにつながり、それが発見になっている。水本さんはドキュメンタリーを作る経験で「予想できない面白さ」を知ったそうですが、まさにああいうところか。



「あれ、どうしようかとは思いますよね。英語の字幕を作るのが大変なんですよ(笑)。
編集でつまんで、スムーズには出来るわけです。でも、何回も同じことを聞いて、コミュニケーションを詰めていくところをそのまま見せるのも悪くないな、と思い始めて。最初はポツリポツリとワンフレーズで答えるシスターの話が、だんだん長くなっていくでしょう。シスター自身が僕の問いに答えてくれながら、同時に自分の記憶の中に潜っている。そのようすが巧まずに表現できている、と思っています」

一方で、東日本大震災で流された写真の修復をしているボランティアの団体も、集団アニメーションに参加してくれた人達として登場する。あの場面は何ら仕掛けも無く、素直に紹介していました。



「一個の短い作品の中でも、てらいなく実直に見せる部分、変化球を用いる部分のバランスをどうするか、常に判断を迫られますよね。『きおく きろく いま』では、どちらかだけに振るのは見る人を選ぶようでそぐわない気がしたんです」

「子どもやお年寄り1人1人に絵を描いてもらう実写のパートは、ドローイングパートのみで成立するようなら挿入する予定は無かったのですが、それでは初見の方にはコンセプトの理解はできないと思いました。
作品のコンセプトに実感を持ってもらう場面は必要だし、その実感が『いま』を表現する要素の一つだとすれば、前半の素直なドキュメントと二重構造でいいのかな、と編集の段階で考えました」

「なにしろ、ああいうフォーマットになるとは、完成直前まで自分でも分かっていなかった(笑)。
もちろん、コンセプトの特殊性を機能させきれていない部分が少なからずある気もしますけど、見通しの立たないまま投げっぱなしでやってみる実験を最後まで通せたことは、納得しています」

絵は4,000枚近く描いてもらったとか。



「はい。2週間あちこちを駆けずり回って描いてもらいました。それを大体、7~8枚/1秒のタイミングで撮影しています。
編集も時間がかかりました。1枚の絵でも原画、シスターの写真、トレーシングペーパーで重ねたものと3回シャッターを押しているわけです。つまり、シスターのアニメーション部分に必要なだけで、1万2,000回シャッターを押して素材を作る必要がある。それを整理し並べ替えて、ようやく編集に入りますから。苦労話をしても仕方ないんだけど」

でも、わざわざスムーズには見にくいドキュメンタリーを作る苦労には、聞く意味があるかな(笑)。見ていて、そうか、受け身の立場に縛られるとどんなに貴重な戦争体験談でも退屈になってしまうものだ、と気付かされたところがあります。『きおく きろく いま』はシスターの話を映画自体が邪魔するから。そうやって、いささか制度的になっていた昔話を聞く意味を洗い直す作業はやはり、文明とは何かを考えていた初期の作品と通底している。



「今言われた、良い話ほど退屈になるのはどうしてかを僕も考えると、フィルターがかかるせいもあるのではないでしょうか。良い話をする善き人に映る模範解答の部分だけを抜き出して綺麗に整理していくと、ノイズまで削ることになりますからね」

「現実はそうではないし、人は整理されていない中からいろいろな情報をゲットしていかなくちゃならない。現実のノイズを削った情報は純度が高くて呑み込みやすいかもしれないけど、それは一種の情報のエンターテインメント化で、慣れると思考が様式化して、多様な判断をする力も落ちてしまいます。ノイズはそもそもノイズなのか、自分で考える力とでも言うのかな。少なくとも僕は、僕がやる以上は、そういう作りをする側に加担するわけにはいかない」

「例えば、ここで飲んでいるコーヒーが美味しいかどうか、だけで考えを済ませてほしくない。じゃあこの豆はどこの国の豆か、どんな人達がどんな風に働いて日本まで運んできたのか。そう思いを巡らすだけでも考える力はずいぶん違ってくると思います。自分の映画がそっちに働きかけるものでありたい、という願いは常にあります。ドキュメンタリーも作るようになって、その気持ちはより強くなりました。表現に関わる者の、それは最低限の責任ではないでしょうか。こういう世の中にしていきたい、なってほしいというものが根本にはあるべきなんです」



(第3回 初期作品について に続く)



【話し手】
水本博之(みずもと・ひろゆき)
1982年生まれ。グレートジャーニーで知られる探検家・ 関野吉晴の手づくりカヌーの旅に同行しドキュメンタリー映画『縄文号とパクール号の航海』(2015) を監督。以後もドキュメンタリーを制作中。一方で手づくりにこだわった人形アニメーションも制作、国内外で発表している。


【聞き手・構成】
若木康輔(わかき・こうすけ)
1968年北海道生まれ。日本映画学校卒。1996年よりフリーランスの構成作家。2006年頃より映画ライターとしても活動。ドキュメンタリー・レコードの廃盤を紹介する「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」をneoneoウェブで連載中。


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